GIANT DISCという名前のレーベルを作りました。
今どきCDなどと言う前時代的な形態でアルバムを発表すること自体バカバカしいと感じる向きも在ろうかと思いますがそこは人情でございます。
配信などと味気のない事を申されるな、私はパッケージされた円盤状の物体に音を入れて心の満足を得たいのです。
音の入った物体を眺めるのが好きなのです。
そんな人間はどうやら私ひとりだけではなかった様です。
思い起こせば一昨年の暮れ、私のもとに独りの男がやってきました。
COVID19がやってくる以前の話です。
男の名前は鈴木晶久。
彼を知ったのは双六亭というグレイトなバンドのギタリスト、ボーカリストとしてでした。
かつて双六亭の録音に参加させて貰った事があったので彼のことは当然知っていましたが親しいとまでは言えない関係でした。
そんな彼がぎこちなく私の前に登場したのでした。
彼の希望はギンジンスタジオで録音してギンジンレコードからCDをリリース出来ないかというものでした。
スタジオは存在しますがギンジンレコードは目下のところ流通をお願いしていた会社が倒産してしまった事もあり彼のCDを預かるには心許ない状況だったのでその旨を伝えました。
そんなやり取りの中で互いの近況を語るうちに彼のお母さんが少し前にお亡くなりになられた事を知りました。
彼がさほど親しくもない私の元に意を決したかの様に現れた理由がそこにある様な気がしました。
程なく録音が始まりました。
彼が作ってきたデモテープは完成度が高くそのままリリースしても差し支えないと思いましたが、せっかくここに来て録音するならと、スタジオでの作業はキーボードやラップスチールギターや普段彼が使った事のない楽器に挑んでみたりとさながら録音実験室といった様相を呈していました。
表情の乏しい彼ですが恐らくその状況を楽しんでいた様に見受けられました。
なぜなら口角が少し上がっていたからです。
彼はいつもぎこちなくやって来てぎこちなく帰って行くのです。
そうして作業を進めたベーシックトラックに時光真一郎氏が素晴らしいベースラインをダビングしてくれたので曲が立体的になりました。
さあこれからという矢先に奴がやって来たのです。
COVID19。
作業は中断を余儀なくされて断続的なものになってしまいました。
しかし今にして思えばそれは悪い面ばかりでは無かったように思います。
時間を置く事で気づかなかった曲想を感じとる事ができ、新たなアイデアが浮かびアレンジや歌詞を手直ししたりする事が出来ました。
作業が長引いたお陰でライオンメリー氏や青山陽一氏にダビングして貰える機会も得る事ができました。
結果的に彼は非常についていました。
そして高橋健太郎氏にマスタリングで音に磨きをかけて貰い、真木孝輔氏に素晴らしいパッケージをデザインして貰い足掛け三年ほぼ一年のコロナブランクを経てようやくCDが完成した訳です。
せっかくCDを発売するのだからギンジンレコードではなく他に新たなアイコニックな存在となるレーベルを作ることにしました。
それがGIANT DISCです。
本来のレーベルとは違い独立したミュージシャンの寄合所みたいなものになれば良いなと考えています。
録音を通じて私と鈴木氏は以前よりは随分と親しくなりました。
つい先日、完成したCDを持って例によってぎこちなく彼はやって来ました。
いつもの様に表情は乏しいですが口角が少し上がっていました。
一緒に完成したアルバムを通して聴きました。
とても良いアルバムに仕上がったと思いました。
このアルバムを君のお母さんに捧げようと私が言うと彼は恥ずかしそうに笑いました。
生きていると色んなことがあります。
嬉しいこと腹の立つこと悲しいこと楽しいこと。
なんでもソロ名義でアルバムを出すのは10年振りとの事。
本人は意識せずともその年月に見合った成果が現れた作品だと思います。
よかった、よかった!
ジョニー斑鳩